雪景色の御朱印行脚。
ご利益願いの上山七福神めぐり。
2014年12月某日
一説によれば、日本で七福神信仰が始まったのは室町時代。七福神めぐりとして人々に広く普及したのは江戸時代だという。そもそも“七福”とは火難、水難、盗賊難などの七つの厄難が消滅すれば七つの福が生じるという、仏教の“七難即滅、七福即生”という言葉が由来らしい。そして、この七福を願うのが七福神信仰につながったのだという。
上山にもこの“七福神”への信仰がある。「上山七福神」は布袋尊が2ヶ所の“八福神”構成で、“上山七福神八霊場”の名を持っている。年の瀬も迫った12月。近頃“御朱印”を始めた連れの強力な後押しも手伝い(笑)、まだ見ぬ「上山七福神」を訪ねる今年最後の冬旅へ。
市街地から蔵王方面へ車で約25分。まずは町外れの離れた場所にある「長龍寺」へ。寺は除雪車を避けながらの雪深い山道を登った先にあった。境内には堂々たるしだれ桜の大木が迫力満点の雪化粧で佇んでいる。ふくらはぎまで埋もれる雪に足をとられながら、ようやく寺務所の扉をたたき「七福神をお参りにまいりました」と告げると、「この雪の中、ご苦労さまです」と、ご住職自らが笑顔で出迎え。そのまま本堂まで案内してくださった。
目指す福禄寿は内陣奥にあった。手を合わせたあと早速、御朱印をお願いし、本堂内をふと見上げれば、ここにも「ムカサリ絵馬」(詳細はこちらのブログを参照)がある。伺えば、寺の現ご住職は19代目。しだれ桜は築350年を数える本堂と同じ樹齢で、毎年春には美しい花を咲かせるのだという。
ご住職に礼を言い、次に向かったのが宿にも程近い「圓通寺」の寿老尊。寺は閑静な住宅地にひっそりと建つ小堂で、七福神参拝は電話での予約が必要らしい。あいにく尊像の拝顔は叶わなかったものの、本堂前に設置されていたご朱印は無事押印できた。
静かな雪景色の風情にほだされ、そのまま宿へと向かう足で、十日町周辺をぶらりと散策してみる。せわしい師走のせいか、はたまた急な雪のせいか、夕暮れ時を前に街は静かな活気を帯びているようだった。
ふるさとが育む大地の滋味。
愛されワインと紅柿と。
葉山舘のアプローチには上山名物、吊るし柿の姿も。上山は日照時間の長さに加え、蔵王から吹き降ろす寒風“蔵王おろし”や昼夜の寒暖差など、干し柿づくりに最適だという。実が柔らかく上品な甘さの上山の「紅柿」は人々に長年愛され続ける高級ブランドだ。
雪景色の庭園鑑賞もそこそこに、まずは部屋の展望風呂で凍えたからだを温める。
今日の夕食のお供は、上山地区で栽培されたヴェルデレー種とシャルドネ種をブレンドした辛口のスパークリングワイン。フルーティーな香りに広がるすっきりと心地よい酸味は「虎河豚の薄造り・皮の湯引き」や「和牛ヒレカツ」、上山伝統野菜の金谷ごぼうを添えた「国産うなぎ山椒煮の卵とじ鍋」との相性も抜群。上山はワイン用ぶどう栽培の適地で、現在はカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネ、ヴェルデレーの4品種を栽培しているとのこと。40年前に植樹したぶどう樹も今は古木に成長し、今後、益々良質なワインが期待できるそうだ。スタッフの方にすすめられ頂戴した、県産の100%柿ジュースによるフルーツカクテルも、甘さ控えめの好みの味わいだった。
曇天の翌朝。朝食に登場したアツアツの山形名物芋煮うどんで力をつけ、残る6寺めぐりに向け、いつもより少し早めにチェックアウト。
2体の布袋尊に願う福徳円満。
愉快逸話のモダン仏絵。
葉山舘から車で約10分。布袋尊を祀る「川口寺」は国道458号線を南下し、上山バイパスに出る前の信号を右折した先にある。雪に映える漆喰の白壁をいただく山門の向こうには、禅宗寺院らしい切妻と唐破風屋根の本堂が見える。堂内は本尊の隣に祀られた観音像をはじめ、広々とした華やかな造りだ。
どっぷりと量感のある布袋尊像に手を合わせ、御朱印を待つ間に伺った話によれば、像は約40年前、米沢の旧家にあったものが縁あって、この寺で預かったものだという。上山のパワースポットめぐりとして七福神めぐりを始めるため、それぞれの尊像を各寺に配した折、もともとこの寺にあった布袋尊が加わり“八福神”となったようだ。「福は幾つあってもいいわよね」と笑う連れ(笑)。穏やかな布袋様の破顔に、また手を合わせる。
次なる「蓬莱院」へは少々、道のりが複雑だ。迷いながら向かう道すがらには、低くたなびく雲上に雄大な蔵王の山々が私たちの不安を励ましてくれた(笑)。
ようやく辿りついた「蓬莱院」では先の寺から電話があったらしく、ご住職が雪かきの手を止めて私たちを歓迎。早速、毘沙門天を参拝し、極彩色の真新しい仏絵が施された本堂をあらためて見上げると、きらびやかな格天井に何ともモダンな絵を発見。実はこれ、ご住職が知り合いの仏絵師に2年をかけて描いてもらった力作とのこと。画題は仏教や山形にまつわる動植物を中心に、当時、流行していたものをセレクト。中にはなんとクリオネの姿も(笑)!絵が完成し天井に設置して初めて、肝心の山形名物サクランボを描き忘れたことに気付いたというから、連れも私も大爆笑(笑)。愉快な談笑に寒さも吹き飛んでしまった。230年の歴史を誇る寺には“海女の珠とり伝説”をもとに描かれた古い板絵もあり、新旧ともに興味深い奉納物が拝観できる。
伽藍の奉納物が語る祈りの美。
人々の信仰を育む古刹と名社。
大黒天を祀る「延命寺」と恵比寿を祀る「龍谷寺」の両寺は、車で1分程の近接した場所にあった。大きな伽藍が印象的な「延命寺」の境内には、六地蔵が安置された地蔵堂もある。寺に人の気配はなく、電話も入れてみたが残念ながらお留守の様子。後ほど、ご丁寧にお詫びの電話を頂戴したものの、すでに夕暮れの帰路途中にて参拝は断念となった。突然伺う場合は、あらかじめ連絡をしておくと間違いなさそうだ。
周囲の景色に溶け込むような「龍谷寺」では、柔和な表情の小ぶりな木彫の恵比寿像と対面。内陣の長押でひときわ目を引く僧侶の欄間や、裁縫の上達を祈願した巨大な裁縫絵馬など、この地で長い歴史を刻んできた学術的にも貴重な奉納物は見ていて飽きない。ムカサリ絵馬にも祝言絵図をはじめ、参詣図など、幾つかの形式があるようだ。寺のある周囲には蔵の風景も広がり、凍えるように立ちすくむ冬柿の熟れた実が、真白な雪原に目にも鮮やかな朱紅を挿していた。
美しい佇まいに思わず車を停めた「五巴(いつつどもえ)神社 」は、次に向かう「久昌寺」のすぐ側の古社。説明書きによれば社は江戸中期、大凶作に見舞われた上山で、農民一揆の首謀者として処刑された5人の御霊を祀った社だという。豊作を祈る産土(うぶすな)社でもあるらしく、村人たちの宴を彷彿とさせる桜の古木に囲まれた境内は、無垢な雪に抱かれ厳かな風格をたたえていた。
続く「久昌寺」も留守だったものの、本堂は開錠されていた。細部の彫り物など造作も立派な堂内はきらびやかで重厚感ある造りだ。布袋尊像は五色の幕を背にした堂内の奥に鎮座。すぐ傍に自分で押印できる参拝者用の印と朱肉も設置されているようだ。寺は山形百八地蔵尊の第十番霊場でもあるらしく、あでやかな袈裟に身を包んだ地蔵菩薩像も併置されていた。本堂入口の長押や壁には、実写を合成したムカサリ絵馬の他、商売繁盛を祈願した銭塔額もびっしりと並び、信仰の篤さを物語る。
典雅流麗な智慧の女神と
雪が織り成す清浄の温もり。
最後に訪れた「大慈院」は長閑な田園風景を抜け、小川に架かる朱塗りの橋を渡った先にある美しい古刹。門前には市の天然記念物でもある、さいかちの大木が番卒のようにそびえている。目指す弁財天は、本堂奥の位牌堂の中で私たちを迎えてくれた。
…美しい。風になびく一瞬を切り取ったような水紋といい、流麗な衣といい、像はまさに婉美の一言。智慧と財をもたらす芸術の女神らしい、見る者を惹きつける神秘さにあふれている。案内いただいたご住職に伺えば、尊像は中国仏像彫刻の伝統を受け継ぐ大仏師の粛雨寒(しょううかん)氏の作とのこと。堂の奥には同氏作の天女像を左右に従えた菩薩像も安置され、装飾をあえて排した須弥壇に神々しく浮かび上がる御姿に、時を忘れて見惚れてしまった。境内には25年の歳月をかけ完成したという、見ごたえのある千体の地蔵菩薩を納めた「千体地蔵堂」もあり(ご住職のご厚意で拝観)、寺全体を包む清浄な気配に心洗われるひとときとなった。
参拝後は再び市街地へと戻り、「黒ゴマタンタン麺」が評判の「きたや」へ。店は昨日訪れた「圓通寺」と同じ道沿いにあるが、馴染みの常連客向けなのか、看板も出ていない強気の構え(笑)。目当ての「黒ゴマタンタン麺」(750円)は辛みそベースに自家製ピリ辛ラー油と香ばしいすりゴマ、つぶゴマがたっぷり入った辛さと甘さが絶妙なバランスで、額に汗するアツアツぶり。連れが頼んだ「しお中華」(750円)も、モンゴル岩塩とかつお出汁がさっぱりとした正統派の味わいだった。
今回訪ねた「上山七福神めぐり」は、少々分かりにくい場所もある。スムーズにまわりたいならカーナビを利用するか、事前の下調べをオススメしたい。寺の門前には目印の看板も設置されている。暖かい季節なら、長閑な田園風景を愛でながらの行脚も一興だろう。
例年より早い大雪で、寺も雪囲いのしつらいに追われていた12月。全国に七福神めぐりは数多あるものの、丁寧に訪ねてみれば尊像も寺の風情も、みな個性あふれる時の物語に充ちていた。これもまた七福神のご利益がもたらす“一福”だろうか。
帰り道、車窓に上山の美しい雪景色を眺めながら「次は樹氷鑑賞もいいわね」と、意気込む連れ。隣で密かに溜息をもらしつつ、湯にこもる厳寒の上山の魅力を想う自分に気付き思わず苦笑。やれやれ、今冬も、どうやらまた忙しくなりそうだ(笑)。
【上山七福神めぐり 詳細】
※各寺までのアクセスはカーナビをご利用いただくか、詳細な地図にてあらかじめ場所をご確認いただいてから行かれることをおすすめします。
■上山七福神
信仰のあつい上山地域には七福神を祭る寺院が8つあり、それぞれの神を巡り、その加護・御利益を授かり、さらに七福神すべてをまわることで1年間の運勢が良くなると伝えられる。
問合せ/023-672-0839( 上山市観光物産協会 )
※御朱印の専用台紙(1,000円)は、各寺および上山市観光物産協会(TEL/023-672-0839)で購入できます。
※各寺院で御朱印代(300円程度)がかかります。
◇全八寺院をタクシーで巡る「かみのやま七福神めぐり」パックもあります。
・小型車 1台14,000円(御朱印台紙つき)
・所要時間 約2時間半
・お問合せ 下記タクシー会社まで
山交ハイヤー(株) TEL/023-672-1616
観光タクシー(株) TEL/023-672-2323
(株)上山タクシー TEL/023-672-1122
※現在、以下デザインの御朱印台紙は販売されておりません。(デザインが変わりました)
・湯王山 長龍寺(ちょうりゅうじ) ⇒福禄寿札所/福と禄を授ける神
住所/上山市小倉34
TEL/023-679-2521
・曹洞宗 圓通寺(えんつうじ)⇒寿老尊札所/長寿を授ける神
住所/上山市長清水1丁目7-28
TEL/023-672-0671・023-672-1468
・龍澤山 川口寺(せんくうじ)⇒布袋尊札所/福寿・安楽の神
住所/上山市川口1448
TEL/023-672-2181
・普門山 蓬菜院(ほうらいいん)⇒毘沙門天札所/正義の味方・戦勝の神
住所/上山市小穴42
TEL/023-673-2909
《海女の珠とり伝説》
天智天皇の御代、唐の皇帝 高宗に嫁いでいた藤原鎌足の娘、百光(びゃっこう)が、父の追善に宝物「面向不背の珠/めんこうふはいのたま)」を送ったところ、志戸の浦にて龍神に奪われてしまいました。それを取り戻すため、身分を隠し志戸の浦へ向かった鎌足の息子、不比等と契りを結んだ美しい海女、玉藻は不比等から話を聞くと一本の命綱を頼りに竜宮へ行き、龍神との激しい水中戦の末、珠を取り返しました。玉藻は持っていた短刀で乳房の下をかき切り、そこに珠を隠し浮上したものの、そのまま息絶えてしまいました。不比等はふびんな玉藻の霊を弔い、子供を連れて都へ帰京。この子供が後の藤原房前です。この物語はいまも能の演目「海士」として伝わっています。
・願王山 延命寺(えんめいじ)⇒大黒天札所/福徳の神
住所/上山市三上屋敷5
TEL/023-674-3422
・瑞雲山 龍谷寺(りゅうこくじ)⇒恵比寿札所/商売繁盛の神
住所/上山市皆沢22
TEL/023-674-3133
・馬野山 久昌寺(きゅうしょうじ)⇒布袋尊札所/福寿・安楽の神
住所/上山市牧野2488
TEL/023-674-2455
・京夫山 大慈院(だいじいん)⇒弁財天札/音楽・智慧・財物の神
住所/上山市中生居126
TEL/023-674-2733
■五巴神社(いつつどもえじんじゃ)
上山市牧野の里にある産土(うぶすな)社。祭神は、昔、農民一揆の首謀者として処刑された5人の御霊とされ、「五巴神社」の名の由来となっている。逸話によれば、奥州一帯が2年続きの大凶作に見舞われた江戸中期の1747(延享4)年、追い詰められた農民3,000人が集結し、藩に年貢の軽減を訴えた。藩はこれに屈し300両と米1,500俵を与えたが、報復に首謀者の庄屋太郎右ェ門父子ら5人を処刑したという。縁起では、以後、藩役人の宿泊所となった太郎右ェ門父子の屋敷は、役人が泊まるたびに寝た方向が逆になる“枕返し”が続き、農民は犠牲となった恩人、太郎右ェ門父子を親から子、孫へと語り継ぎ、屋敷跡に社殿を建て5人の御霊を弔ったという。
■きたや
上山の市街地、旧羽州街道沿いにあるラーメン店。一見、ラーメン屋とは分かりにくい外観から“幻の中華そば屋”として、地元に愛されている。自家製のコシのある多加水麺による「黒ごまタンタン麺」(750円)や、昔懐かしい味わいのシンプルな「しお中華」(750円)の他、「天ぷら中華」(850円)が評判。
住所/山形県上山市相生11
TEL/023-672-0585
営業時間/11:00〜19:00
定休日/水曜日
駐車場/有り